昔から何故か死について考える機会が多かった。



正直、どうやって人生を終えるのか割と考えてきた方だ。
ただ、この手の話をするとみな同じ反応をする



縁起でもない

そういう話は止めてくれ

まだ若いのに何で?


ただ、この世の中、どういう訳かについて、考えていない


いや、死ぬことを前提に生きるのは非常に後ろ向きで良くない事とされてるからだ。
ただ、確実にだけは、誰にでも平等に来る。それを逃れられた人間は未だかつていない。(生物は‥とは言わない。ひょっとしたら不老不死の生物もいるかもしれないからだ)



そんな誰にでも来る身近なについて、人類は常にトラブルを抱えてきた。


王様の世継ぎ問題、現在なら相続問題等々。



この仕事をしていて分かるのだが、相続関係の話が円滑にいかない多くの理由に、お父さんやお母さんが死ぬことを前提とした話はしたくないと言う物が一番大きい。要は「縁起でもない」って奴だ。


ただ、この「縁起でもない」って奴が一番曲者で、その思考のせいで全ての死後の準備が疎かになる。
死について考える事自体、日本人の多くは忌み嫌うし、そしてそういう事を頭に残すことにストレスを感じるのかもしれない。



ただ、死と言うのが何故ストレスなんだろう?何故悲しい事なんだろう?という事になるんだが


結局死と言うものは大変な痛みや苦しみを伴うもので、それを連想したくないだけだと思う。


そして、悲しいのは、ただ単に誰からの将来の事や未来の事が全て消えてなくなるからだ。
その悲しみは後悔と言う感情に近い、だから死は若いほど悲劇的になる。(逆に大往生した人の葬式の雰囲気の明るい事)
「この子が生きてたら」とか段々そういう気持ちになってきて、身近な人間のそういった未来や将来と言う物は、死で全て無くなるわけだ。それは大変なストレスだ。悲しみだ。
だから、その人の生きたいとか死にたいという意思に反した、「殺人」って行為は、全ての未来を奪う物になるから、この世で最も罪の重い犯罪になる訳だ。



ただ、本人の意思で「この世に生きてても意味がない」と思ってたら話は別だ。
正直、自分は大いに反感は買うかもしれないが自殺は決してタブーではないと思っているし、誰の傍にもあるものだと思っている。


その遺志に応じて国ももっと配慮すべきだと思うし。周りも「生きていれば良い事はあるさ」と、とんでもなく無責任な事を言う事もある。


ただ、正直、生きたい、死にたいくらいの裁量はその人、個人の意思としてもっと尊重すべきではないかと思っている。


そして「死にたい」とつぶやいている人に対して、「歯を食いしばって生きろ」「生きてりゃ良い事ある」「もっとつらい人が世の中に居る」という事が健全な事なのかと思う事はある。



死にたいという人の意思を尊重して見送る事も時には大事なのかもしれない。
そして、正直、世の中で生きて辛くて辛くてしょうがない人間は腐るほどいる。



ただ、死ねないのは死ぬまでの痛みが怖いだけだ。痛みや恐怖が無ければ「死」を選んでいた人間は星の数ほどいたと思う。



本人の意思で「死」を選ぶのなら、正直そこには、まだ見ぬ未来への後悔も無いし、悲しむ必要もないのかもしれない。じっくり「なぜ死にたいか」を周りが納得すれば、悲しむ必要も無くなるのかもしれないが、それはさすがに難しいか。




すみません。ちょっと病的な内容でした。石をぶつけたくなる人もいるかもしれないけど、そうかそこはご勘弁を

コメント

半島民
2020年6月16日1:12

そもそも「生きる」こと自体は手段であって目的じゃないですからね

柳
2020年6月26日11:58

>半島民さん
ですよねぇ・・・
柳

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