毛筋ほどの不安とか。結婚って奴を考える。
2020年5月10日 日常すみません。何か昨日は泣き言を書いて。
しかし、思うのが、今、人間って生き物は、歴史上かつてない状況に置かれているって事だよな。
これだけ、安全が保障された生活は他の生物では考えられない。
今、コロナコロナで騒いでいるけど、人間はすでに、毛筋ほどの不安や死への恐怖まで弾き出そうとしている。そんな段階に来ている。
もう100%死ぬ危険の無い、生物にとっての理想郷にもう到達していると言っても良い。
いくら格差社会だとか何だとか言っても、この日本で言えばみな、車を持ち、ブランド物のバッグを持ち、いくら上には桁違いの金持ちがいるとはいっても、一応はみな、衣食住は足りている。
そこに結婚てやつを絡めてみる。
要は、今まで昔から、夫婦二人で組まないと、とてもじゃなかったが、生活できなかったんでしょう。つい100年前までは。
女に関して言えば、恐らく専業主婦なんて、100年以上前は恐ろしいほどのブラック企業並みの労働を強いられたはずだ。
だから、女が外に出て働く余裕が無かった・・とも言える。
農村では、ただただマンパワーが必要だから、子供増やして、10歳くらいになったらもう弟や妹の面倒見させて・・・と。
そんなもの、正直、昔の生活なんて結婚と言う制度が無ければ、きっと成立しなかったはずだ。
ただ、今は、便利な家電が有り、衣食住も事足りている。
今、企業は、衣食住足りた人間に対して、さらに「カユイところに手が届くもの」を開発している。
一人暮らしでも何ら不自由はしない。だって洗濯だってワンボタン、今は自粛中だけど、一切料理せずに365日飯も食える。どこに行っても金と言う魔法の札が有れば大体は手に入る。
そんな時に「結婚」する事は、メリットは薄くはなっている気がするし、婚活とかやってはみたけど、ただ男女とも、どうも結婚が「相手から受けるサービス」を提供できる異性を探す・・みたいな感じになっている気もする
男は「キレイな子が良い」「優しい子が良い」、女は「気配りできる人が良い」「お洒落で清潔感のある人が良い」と。
一緒になることで、自分にメリットと言うか、プラスアルファの幸福がないと、結婚しませんよ!って雰囲気はびしばし伝わる。
多分、女性には特にそうだけど、「私、結婚して幸せになります!」って100年前は絶対言ってなかったと思う。結婚は「一人じゃ生きていけないから、仕方なくするもの」って考えもあったとは思う。
(私、結婚して幸せになりますって、もうサービス受ける気満々だよな』
100年前は、女性の結婚て「就職」に近い、緊張感とかそういうのがあったと思う。きっと100年前の結婚はお互い不安しかなかったと思う。「この家に私、合うかな」とか「姑さん、嫌な人じゃなければ良いけど」とか。
正直、婚活すると、大体フラれる上等文句が「価値観が合わない」とか。
結婚した後に、ちゃんと生活できるかどうかは、重要ではないのだ。
だって衣食住何て、どうとでもなるんだから。
あとは、「衣食住満たされた私を不快にしない存在」
一番排除されるのは、見た目とか雰囲気とか、何となく「不快な」要素のある異性である。
それが結婚相手に求める条件になっている気はする。
あと、結婚ってシステムは、後残された義務は「子供を男女共同で育てる」って事ぐらいだよね。
お子さんのいない夫婦も多々あるなか、恐縮だけど、子供育てなければ、その夫婦もただ単に「仲の良い男女」だよね。(恐らく反論は多数あるかと思いますが)
ただ、昔みたいに大雑把に育てて良い雰囲気でもないし、社会が、子供を大事にすることを強要しすぎている感は有る。
特に不運にもシングルマザーになったお母さんたちは、正直、大変だとは思う。
この衣食住整った世界では、どうも、「子育て」だけは大して楽にはならなかったみたいだ。
どんなに時代が楽になっても、子供は夜泣くし、下らない悪戯はするし、好きな時間にクソはするわ、わがまま放題言うわで、時代が最先端言っても、子供って奴の取り扱いまでは、どうも楽にはなってない気がする。
そんな、楽勝で衣食住が足りている世界が確保されてる中、いきなり子育てと言う昔から大して苦労が変わらない事が現れるとあら、大変。
そして、人間の世界が多様化しすぎて、情報が多くなりすぎて、社会の全てを把握するには、すでに人間自体のキャパシティーは遙かにオーバーしてしまっている。
ただでさえ、キャパシティーオーバーの中で、子育てまでさせたら、あっという間にお母さんキャパシティーオーバーになるよね。
人間が増えすぎて、衣食住足りて何も不満の無い社会で、あえて子育てと言う苦行を続けるのは、これはもう生き物の本能としか言えない。
その本能がどうにも弱い人間が現れた。それが自分のような人間だ。
しかし、思うのが、今、人間って生き物は、歴史上かつてない状況に置かれているって事だよな。
これだけ、安全が保障された生活は他の生物では考えられない。
今、コロナコロナで騒いでいるけど、人間はすでに、毛筋ほどの不安や死への恐怖まで弾き出そうとしている。そんな段階に来ている。
もう100%死ぬ危険の無い、生物にとっての理想郷にもう到達していると言っても良い。
いくら格差社会だとか何だとか言っても、この日本で言えばみな、車を持ち、ブランド物のバッグを持ち、いくら上には桁違いの金持ちがいるとはいっても、一応はみな、衣食住は足りている。
そこに結婚てやつを絡めてみる。
要は、今まで昔から、夫婦二人で組まないと、とてもじゃなかったが、生活できなかったんでしょう。つい100年前までは。
女に関して言えば、恐らく専業主婦なんて、100年以上前は恐ろしいほどのブラック企業並みの労働を強いられたはずだ。
だから、女が外に出て働く余裕が無かった・・とも言える。
農村では、ただただマンパワーが必要だから、子供増やして、10歳くらいになったらもう弟や妹の面倒見させて・・・と。
そんなもの、正直、昔の生活なんて結婚と言う制度が無ければ、きっと成立しなかったはずだ。
ただ、今は、便利な家電が有り、衣食住も事足りている。
今、企業は、衣食住足りた人間に対して、さらに「カユイところに手が届くもの」を開発している。
一人暮らしでも何ら不自由はしない。だって洗濯だってワンボタン、今は自粛中だけど、一切料理せずに365日飯も食える。どこに行っても金と言う魔法の札が有れば大体は手に入る。
そんな時に「結婚」する事は、メリットは薄くはなっている気がするし、婚活とかやってはみたけど、ただ男女とも、どうも結婚が「相手から受けるサービス」を提供できる異性を探す・・みたいな感じになっている気もする
男は「キレイな子が良い」「優しい子が良い」、女は「気配りできる人が良い」「お洒落で清潔感のある人が良い」と。
一緒になることで、自分にメリットと言うか、プラスアルファの幸福がないと、結婚しませんよ!って雰囲気はびしばし伝わる。
多分、女性には特にそうだけど、「私、結婚して幸せになります!」って100年前は絶対言ってなかったと思う。結婚は「一人じゃ生きていけないから、仕方なくするもの」って考えもあったとは思う。
(私、結婚して幸せになりますって、もうサービス受ける気満々だよな』
100年前は、女性の結婚て「就職」に近い、緊張感とかそういうのがあったと思う。きっと100年前の結婚はお互い不安しかなかったと思う。「この家に私、合うかな」とか「姑さん、嫌な人じゃなければ良いけど」とか。
正直、婚活すると、大体フラれる上等文句が「価値観が合わない」とか。
結婚した後に、ちゃんと生活できるかどうかは、重要ではないのだ。
だって衣食住何て、どうとでもなるんだから。
あとは、「衣食住満たされた私を不快にしない存在」
一番排除されるのは、見た目とか雰囲気とか、何となく「不快な」要素のある異性である。
それが結婚相手に求める条件になっている気はする。
あと、結婚ってシステムは、後残された義務は「子供を男女共同で育てる」って事ぐらいだよね。
お子さんのいない夫婦も多々あるなか、恐縮だけど、子供育てなければ、その夫婦もただ単に「仲の良い男女」だよね。(恐らく反論は多数あるかと思いますが)
ただ、昔みたいに大雑把に育てて良い雰囲気でもないし、社会が、子供を大事にすることを強要しすぎている感は有る。
特に不運にもシングルマザーになったお母さんたちは、正直、大変だとは思う。
この衣食住整った世界では、どうも、「子育て」だけは大して楽にはならなかったみたいだ。
どんなに時代が楽になっても、子供は夜泣くし、下らない悪戯はするし、好きな時間にクソはするわ、わがまま放題言うわで、時代が最先端言っても、子供って奴の取り扱いまでは、どうも楽にはなってない気がする。
そんな、楽勝で衣食住が足りている世界が確保されてる中、いきなり子育てと言う昔から大して苦労が変わらない事が現れるとあら、大変。
そして、人間の世界が多様化しすぎて、情報が多くなりすぎて、社会の全てを把握するには、すでに人間自体のキャパシティーは遙かにオーバーしてしまっている。
ただでさえ、キャパシティーオーバーの中で、子育てまでさせたら、あっという間にお母さんキャパシティーオーバーになるよね。
人間が増えすぎて、衣食住足りて何も不満の無い社会で、あえて子育てと言う苦行を続けるのは、これはもう生き物の本能としか言えない。
その本能がどうにも弱い人間が現れた。それが自分のような人間だ。
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