みんな亀田を叩いてるけどさ。
みんな亀田に「ちゃんと謝れ−!!!」とか言ってるけどさ。
でも、ボクシングってもともとそんなの珍しい事でもないじゃん。
対戦前に記者会見の席で「切腹しろ」「お前が切腹しろ」とか言うのもそんなに珍しい事でもないジャン。
ボクサーって、大体はヤンキ−上がりな訳だし、試合前の見てて恥ずかしくなるようなセンスの悪い演出だって珍しい事じゃなかったじゃん。
むしろチャンピオンの内藤さんが、ボクシングでは珍しいくらいデキた人だったから、亀田2号の素行が酷く見えるだけでさ。
なんつぅか、18歳の未来有る少年のライセンス停止したり、メディアそろって「謝れ」だのなんだの連呼するのはどうかと思う。
今まで散々持ち上げておいて、ここまで手のひらを返すなんて。改めてメディアの冷たさを痛感したよ。本当に。
ま、とはいっても、亀田家のお兄ちゃんも弟君も、あのオヤジからは離れるべきだと思うけどね。
ま、それもこれも全てかの巨大掲示板で、徹底的に亀田家が嫌われていたのが運の尽きだな。
だって、ああいうヤンキ−系の子にイジメられてたような。気の弱い子が書きこんでいるのがあの某巨大掲示板なわけで。
そこで、ああやって、ヤンキ−面して、威張ったり人を威嚇するような奴は一番嫌われるんだよね。
かの「別に」の沢尻さんもそうでしたが。
もう今のメディアは某掲示板の意見についていってる訳ですね。
さて、そんな訳でがけっぷちに立っている亀田家の復活劇?をちょっと考えてみました。
一応、日本人の好きそうなストーリー立てで・・・
「亀田家の復活劇」
2007年10月11日のタイトルマッチ以降、亀田家は窮地に立っていた。
あれほど、鬱陶しかったマスコミの姿も今はない。
ジムに行っても、誰も口を聞こうともしないし、誰も今回の事で亀田を助けてくれる訳でもない。
父親は、どこにも出れる訳でもなく、家で酒に入りにびたれる日々。
あれほどかっこよくて、強かった父親の面影は今はどこにもない。
三兄弟はそんな父親に複雑な思いを抱きながらも、次の道を模索していた。
実は、何件か、地方のジムから誘いは来ていた。
だが、今まであれほどチヤホヤされてきて、今更田舎のジムで1から出直す勇気も3人には持てなかった。
協栄ジムもイメージの悪化を恐れていた。本当はすぐにでも亀田をほっぽり出したかったのだが、今まで彼らに稼がせてもらった事もあって、なかなかそんな事も言い出せない。
そんな八方塞がりの中、次男の大毅がこんな事を言い出した。
「実はナ。俺、辞めよう思うとんねん。」
それを聞いた興毅はこう返した。
「アホか!ちょっとみんなに言われたくらいで何言うとんねん!!!!」
それを聞いて下を向いてうつむく大毅。その目にはじっくり涙を浮かべていたのを見て、兄の興毅は、弟の決意は既に相当固いことを悟った。
「分かった。一晩じっくり考えや。お前の人生や。好きにしたらええ。せやけど、あんまり短絡的にだけは考えんなや。」
それを聞いて何度もうなづく大毅。
その数日後、大毅は引退し、知り合いの飲食店で働く事になった。
辞めた弟と、ボクシングから離れた父親の事を思うと興毅は、今まで経験した事の無い、いたたまれない気持ちになった。
「そやな・・・俺もイチから出なおしやな・・」
次の日、興毅は協栄ジムを離れ、日本一練習の厳しい事で知られるとある地方ジムに移る事を決意した。
そこからの興毅のボクシングの日々は、まさに地獄と言っても生温く思えるほどのものだった。朝は6時に起き、ランニング、そして激しいスパーリング・・・
彼は、今自分が背負っている世間の冷たい目、そしてまた「インチキ亀田」と言われるのを怖がっていた。そしてそれを払拭するのに必死だった。
もう2度とそんな事言わせないためにも彼は死に物狂いで耐え忍んだ。
あの騒動から1年後、興毅にタイトルマッチの話が舞い込んで来た。
あの日から始まったバッシングを払拭するには、完膚無きまでに、相手を叩きのめしKOする事。
だが、試合に臨んだものの、1年のブランクは消せる物ではなく、あえなく惨敗−
そして次の日の新聞の見出しには「やはり負けた亀田」の文字が踊る。
確かに負けたのは悔しかったが、それ以上に悔しかったのが、まだ自分に実力が有る事を認めてくれない世間の目。
それから亀田は悪魔となった。
1日16時間を超える狂気の鍛錬の日々。
それを見て、誰もが亀田がおかしくなったと思った。
誰よりも早くジムに来て、誰よりも遅く居残る。亀田の叩くサンドバッグの下にはまるで大雨が降ったかのごとく、大量の汗が水溜りとして残っていた。
スパーリングも、あまりに激し過ぎるために相手が居なくなった。
そしてこの狂気のトレーニングの日々についていけなくなった女とも別れた。
半年もすると体中のあちこしが痛くなった。
医者の何度かのストップにもしかし、亀田は耳を課さなかった。
「オヤジと弟の無念は俺が晴らすんや!!!」その事を思えば、女と別れた事も、1日16時間のトレーニングも耐えることが出来た。
そのトレーニングの日々もあってか、興毅は連戦連勝。
だが、発達しすぎた筋肉のせいで、フライ級に居続けるのも無理となり、階級を次第にあげていった。
そして、興毅は何時の間にか二階級上のバンダム級に居たのだ。
その二階級上でも興毅は勝ちつづけた。
体格的にも上の対戦相手と戦いながら、次第に強くなっていく興毅。
そしてバンダム級になってから3年後にはついに、世界チャンピオンのタイトルマッチをやる事になった。
だが、3ヶ月弱に一試合という有り得ない試合数をこなした興毅は既にパンチドランカー諸侯群に陥っていた。
しかも次に対戦するチャンピオンは8度の防衛を果たしながらもまだ27歳という、稀代のキングオブチャンピオン。
スポーツ新聞各紙には「亀田圧倒的不利」「5R持つかどうか」とさえ言われていた。
さてゴングが鳴る。
今までの鍛錬した日々が無為の日々と思われるほど興毅のボクシングはチャンピオンには通用しなかった。
当たる予感もしない見のこなし。そして確実に急所めがけて飛んでくるチャンピオンのパンチ。
1R終了時点で誰も亀田の勝利を信じる者は居ないほどのチャンピオンの圧倒的展開だった。
だが、ラウンドが進むにつれて、だんだんチャンピオンの攻撃を亀田が避けるようになった。
そして4R頃から、亀田の目から精気が消え失せ顔色も土気色になっていた。
だが、どういう訳か亀田の動きは俄然冴えてくる。
何度かボディーやジャブがチャンピオンを捕らえていった。
2、3Rで仕留める予定だったチャンピオンの顔からも焦りの色が出てくる。
6Rまでに2度のダウンをもらいながらも、亀田は立ち続けた。
そしてRが進むに連れ、セコンドがある異変に気づいた。
「すでに亀田に意識は無いのでは?」
Rが終って座り込む時の亀田はただ何をする訳でもなく、聞こえない独り言をブツブツ言うだけ。
ゴングが鳴ると、のそのそと起き上がりリングへ向かう。
もう既にセコンドも亀田の異常には気づいていた。
だが、亀田の1日、16時間の鍛錬の日々を思うと、タオルを投げかける訳にもいかないし、現にチャンピオンを今推しているのだ。
10Rを過ぎた頃か。観客も異変に気づき始めた。最初は亀田の下馬評を覆す健闘振りに狂喜していたが、亀田の尋常ではない様子を感じ取ると、次第に静かになりざわめき始めた。
11Rになったころだろうか。
弟の大毅がリングの元にかけつけた
「兄ちゃん!!!もうええて!!!!」
そう泣き叫びながら兄に問い掛ける弟。
11Rが終り、泣きじゃくる弟に兄の興毅はこう優しく言った。
「もう誰も亀田を屁タレ言う奴はおらんで・・・」
アザだらけで、腫れまくった目をしながらニヤっと兄はつぶやいた。
そして、12Rのリングへ向かう興毅。
その狂気の戦い振りに恐怖し、クリンチしながら逃げまどうチャンピオン。そして渾身のストレートがチャンピオンのアゴをかすめダウンを取る。
12Rの二分に始めて奪ったダウンに、観客席は総立ちとなった。
だが、最後のチカラを振り絞りチャンピオンは無情にも立ちあがる。
そして、1分後、無情にもゴングは鳴った
そのリングの音が鳴った瞬間、亀田はリングに倒れこんだ。
医師がすぐにかけつけたが、亀田に意識は無く既にこと切れていた。
そして驚くべき事にゴングがなった瞬間に死後硬直が始まった。後の発表によれば、12Rが始まる頃、興毅は既に死んでいたらしい。
みんな亀田に「ちゃんと謝れ−!!!」とか言ってるけどさ。
でも、ボクシングってもともとそんなの珍しい事でもないじゃん。
対戦前に記者会見の席で「切腹しろ」「お前が切腹しろ」とか言うのもそんなに珍しい事でもないジャン。
ボクサーって、大体はヤンキ−上がりな訳だし、試合前の見てて恥ずかしくなるようなセンスの悪い演出だって珍しい事じゃなかったじゃん。
むしろチャンピオンの内藤さんが、ボクシングでは珍しいくらいデキた人だったから、亀田2号の素行が酷く見えるだけでさ。
なんつぅか、18歳の未来有る少年のライセンス停止したり、メディアそろって「謝れ」だのなんだの連呼するのはどうかと思う。
今まで散々持ち上げておいて、ここまで手のひらを返すなんて。改めてメディアの冷たさを痛感したよ。本当に。
ま、とはいっても、亀田家のお兄ちゃんも弟君も、あのオヤジからは離れるべきだと思うけどね。
ま、それもこれも全てかの巨大掲示板で、徹底的に亀田家が嫌われていたのが運の尽きだな。
だって、ああいうヤンキ−系の子にイジメられてたような。気の弱い子が書きこんでいるのがあの某巨大掲示板なわけで。
そこで、ああやって、ヤンキ−面して、威張ったり人を威嚇するような奴は一番嫌われるんだよね。
かの「別に」の沢尻さんもそうでしたが。
もう今のメディアは某掲示板の意見についていってる訳ですね。
さて、そんな訳でがけっぷちに立っている亀田家の復活劇?をちょっと考えてみました。
一応、日本人の好きそうなストーリー立てで・・・
「亀田家の復活劇」
2007年10月11日のタイトルマッチ以降、亀田家は窮地に立っていた。
あれほど、鬱陶しかったマスコミの姿も今はない。
ジムに行っても、誰も口を聞こうともしないし、誰も今回の事で亀田を助けてくれる訳でもない。
父親は、どこにも出れる訳でもなく、家で酒に入りにびたれる日々。
あれほどかっこよくて、強かった父親の面影は今はどこにもない。
三兄弟はそんな父親に複雑な思いを抱きながらも、次の道を模索していた。
実は、何件か、地方のジムから誘いは来ていた。
だが、今まであれほどチヤホヤされてきて、今更田舎のジムで1から出直す勇気も3人には持てなかった。
協栄ジムもイメージの悪化を恐れていた。本当はすぐにでも亀田をほっぽり出したかったのだが、今まで彼らに稼がせてもらった事もあって、なかなかそんな事も言い出せない。
そんな八方塞がりの中、次男の大毅がこんな事を言い出した。
「実はナ。俺、辞めよう思うとんねん。」
それを聞いた興毅はこう返した。
「アホか!ちょっとみんなに言われたくらいで何言うとんねん!!!!」
それを聞いて下を向いてうつむく大毅。その目にはじっくり涙を浮かべていたのを見て、兄の興毅は、弟の決意は既に相当固いことを悟った。
「分かった。一晩じっくり考えや。お前の人生や。好きにしたらええ。せやけど、あんまり短絡的にだけは考えんなや。」
それを聞いて何度もうなづく大毅。
その数日後、大毅は引退し、知り合いの飲食店で働く事になった。
辞めた弟と、ボクシングから離れた父親の事を思うと興毅は、今まで経験した事の無い、いたたまれない気持ちになった。
「そやな・・・俺もイチから出なおしやな・・」
次の日、興毅は協栄ジムを離れ、日本一練習の厳しい事で知られるとある地方ジムに移る事を決意した。
そこからの興毅のボクシングの日々は、まさに地獄と言っても生温く思えるほどのものだった。朝は6時に起き、ランニング、そして激しいスパーリング・・・
彼は、今自分が背負っている世間の冷たい目、そしてまた「インチキ亀田」と言われるのを怖がっていた。そしてそれを払拭するのに必死だった。
もう2度とそんな事言わせないためにも彼は死に物狂いで耐え忍んだ。
あの騒動から1年後、興毅にタイトルマッチの話が舞い込んで来た。
あの日から始まったバッシングを払拭するには、完膚無きまでに、相手を叩きのめしKOする事。
だが、試合に臨んだものの、1年のブランクは消せる物ではなく、あえなく惨敗−
そして次の日の新聞の見出しには「やはり負けた亀田」の文字が踊る。
確かに負けたのは悔しかったが、それ以上に悔しかったのが、まだ自分に実力が有る事を認めてくれない世間の目。
それから亀田は悪魔となった。
1日16時間を超える狂気の鍛錬の日々。
それを見て、誰もが亀田がおかしくなったと思った。
誰よりも早くジムに来て、誰よりも遅く居残る。亀田の叩くサンドバッグの下にはまるで大雨が降ったかのごとく、大量の汗が水溜りとして残っていた。
スパーリングも、あまりに激し過ぎるために相手が居なくなった。
そしてこの狂気のトレーニングの日々についていけなくなった女とも別れた。
半年もすると体中のあちこしが痛くなった。
医者の何度かのストップにもしかし、亀田は耳を課さなかった。
「オヤジと弟の無念は俺が晴らすんや!!!」その事を思えば、女と別れた事も、1日16時間のトレーニングも耐えることが出来た。
そのトレーニングの日々もあってか、興毅は連戦連勝。
だが、発達しすぎた筋肉のせいで、フライ級に居続けるのも無理となり、階級を次第にあげていった。
そして、興毅は何時の間にか二階級上のバンダム級に居たのだ。
その二階級上でも興毅は勝ちつづけた。
体格的にも上の対戦相手と戦いながら、次第に強くなっていく興毅。
そしてバンダム級になってから3年後にはついに、世界チャンピオンのタイトルマッチをやる事になった。
だが、3ヶ月弱に一試合という有り得ない試合数をこなした興毅は既にパンチドランカー諸侯群に陥っていた。
しかも次に対戦するチャンピオンは8度の防衛を果たしながらもまだ27歳という、稀代のキングオブチャンピオン。
スポーツ新聞各紙には「亀田圧倒的不利」「5R持つかどうか」とさえ言われていた。
さてゴングが鳴る。
今までの鍛錬した日々が無為の日々と思われるほど興毅のボクシングはチャンピオンには通用しなかった。
当たる予感もしない見のこなし。そして確実に急所めがけて飛んでくるチャンピオンのパンチ。
1R終了時点で誰も亀田の勝利を信じる者は居ないほどのチャンピオンの圧倒的展開だった。
だが、ラウンドが進むにつれて、だんだんチャンピオンの攻撃を亀田が避けるようになった。
そして4R頃から、亀田の目から精気が消え失せ顔色も土気色になっていた。
だが、どういう訳か亀田の動きは俄然冴えてくる。
何度かボディーやジャブがチャンピオンを捕らえていった。
2、3Rで仕留める予定だったチャンピオンの顔からも焦りの色が出てくる。
6Rまでに2度のダウンをもらいながらも、亀田は立ち続けた。
そしてRが進むに連れ、セコンドがある異変に気づいた。
「すでに亀田に意識は無いのでは?」
Rが終って座り込む時の亀田はただ何をする訳でもなく、聞こえない独り言をブツブツ言うだけ。
ゴングが鳴ると、のそのそと起き上がりリングへ向かう。
もう既にセコンドも亀田の異常には気づいていた。
だが、亀田の1日、16時間の鍛錬の日々を思うと、タオルを投げかける訳にもいかないし、現にチャンピオンを今推しているのだ。
10Rを過ぎた頃か。観客も異変に気づき始めた。最初は亀田の下馬評を覆す健闘振りに狂喜していたが、亀田の尋常ではない様子を感じ取ると、次第に静かになりざわめき始めた。
11Rになったころだろうか。
弟の大毅がリングの元にかけつけた
「兄ちゃん!!!もうええて!!!!」
そう泣き叫びながら兄に問い掛ける弟。
11Rが終り、泣きじゃくる弟に兄の興毅はこう優しく言った。
「もう誰も亀田を屁タレ言う奴はおらんで・・・」
アザだらけで、腫れまくった目をしながらニヤっと兄はつぶやいた。
そして、12Rのリングへ向かう興毅。
その狂気の戦い振りに恐怖し、クリンチしながら逃げまどうチャンピオン。そして渾身のストレートがチャンピオンのアゴをかすめダウンを取る。
12Rの二分に始めて奪ったダウンに、観客席は総立ちとなった。
だが、最後のチカラを振り絞りチャンピオンは無情にも立ちあがる。
そして、1分後、無情にもゴングは鳴った
そのリングの音が鳴った瞬間、亀田はリングに倒れこんだ。
医師がすぐにかけつけたが、亀田に意識は無く既にこと切れていた。
そして驚くべき事にゴングがなった瞬間に死後硬直が始まった。後の発表によれば、12Rが始まる頃、興毅は既に死んでいたらしい。
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