まぁ、久々の日記となった訳だが。



さて、今日お話したいと想ったのはアスペルガ−症候群と言う奴についてだ。





このアスペルガ−という言葉に対して聞き慣れない人の方が多いとは想うのだが、実際世の中では、このアスペルガ−症候群に悩まされている人が想いの他多い。



ちなみに、俺が思うに引きこもりの半分異常が、このアスペルガ−症候群じゃないかと。





まぁ、言葉が小難しくて聞き慣れない代わりに非常に有り触れたものなのであるのがこのアスペルガ−




だから、引きこもりを抱えているお母さんとかには是非、今日の日記は読んで欲しいのだけれどね。




さて、このアスペルガ−というものは、簡単に言ってしまえば、人と思うように意思疎通が出来ない症状だと思ってくれれば良い。




そして、このアスペルガ−の患者は、決して、合コンなんかで、幹事をやるような事は出来ないし、何人も恋人をつくって二股三股する事も出来ない。



そして、アスペルガ−の人の多くは、健常者よりもずっと恋愛経験や友達の数が少なく、独りで時間を過ごす事が多い。





それは、アスペルガ−の人にとって、健常者との会話や遊びは、非常に「疲れる」ものであるからである。だからアスペルガ−の人は、一人で遊ぶ事の方を好むのだ。





大勢でいるよりも独りでいるほうが楽で楽しいアスペルガ−症候群。





その理由は、アスペルガ−の人は、人の手振り素振りや、顔の表情から、人の感情を読む事が出来ず、なかなか人の会話の輪に入れないからである。




もっと簡単に言っちゃうと、アスペルガ−の人は俗に言う「空気が読めない人」なのである。





人の表情から気持ちを感じ取れないアスペルガ−。
だから、アスペルガ−に冗談を言ってもほとんど通じない。



例えば、アスペルガ−とその友人が歩いていて、ふと宝くじ売り場にでも通りかかったとしよう。そこで友人が「お前から借りた金はここの宝くじで当てて返すわ」とか、冗談でも言ったとしよう



そういう冗談に対して、マジウケするのがアスペルガ−



「え?宝くじで当てないと、貸した金返してくれないの?」と返してしまうのがアスペルガ−である。





その時、友人がちょっとからかったような表情で、冗談っぽく、「宝くじで当てた金で借金を返す」といっても、アスペルガ−には通用しない。




だって、彼には表情や、その時の微妙なニュアンスが理解出来ないのだから。




そして、アスペルガ−は、「宝くじを当ててもらあわないと、金を返してもらえない」と不安になってしまうのだ。




だからアスペルガ−の人間は。健常者に取っては、「話しの通じない面白くない奴」だと受け取られがちで、健常者よりも友人関係の構築が難しくなるケースが多いのだ。
そして、どうしても周りから浮いてしまうので、いじめの対象にもなりやすい。



だから、だんだんアスペルガ−も、人との接触にストレスを感じるようになり、段々と、人間社会での生活が面倒に見えてくるのである。





恐らく、不登校や引きこもりも多くはこのケースが多いのだが、いかんせん、それは多くは_子供の育て方が悪かっただの、本人の努力不足だとかで、受け取られてしまう事が多い。




そして、アスペルガ−の多くは、学校のテストでも健常者とは変わらないくらいの数字を出す訳なので、余計にその症状が「異常」だとは思われなくなってしまうのだ。




で、実際アスペルガ−の子供を持ってしまったお母さんなんかは、「私の育て方が悪かった」と思ってしまうのだが、事実「育て方が悪かった」からといって、何年も引きこもってしまう要因にはならない事が多い。




アスペルガ−は先天的なものである。




俺の考えだが、よっぽど、メチャクチャな親で無い限り、子供が引きこもったり、社会生活が営めなくなってしまうのは、ほぼ、その本人の産まれ持った精神的な特徴からくる事が多いのだ。





だから、アスペルガ−の親御さんは、是非とも自分を攻めずに、アスペルガ−の子に、その症状の自覚を促すようにしてもらいたい。

コメント

kaj
kaj
2007年6月16日17:56

何故でしょうか、呼ばれたような気がするのは(笑)
えぇ〜っと、公開されているセルフチェックの類で自分自身を試してみると9割がた「ソレ」に該当するんですよ。

...ただね、私の子供時代には、そんな言葉が一般的では無かったですし田舎でしたから世間体からかなぁ「引きこもって」しまう事すら出来ませんでした。
で、その後も、喰うためには社会に出るしかなくて「普通」の事を「普通」こなす事の出来ていない自分の不甲斐なさに慨嘆するばかりですよ、今も。
「生まれ持った」って言う発想は、実は、かなり危険なんです。現在の技術だと、受精後に(生まれ出る前に)かなりの確率で「ソレ」も含めて、もっと重篤な(あ、比較すべき問題ではないんですけどもね)疾患も発見する事も出来てしまう...つまり「優性保護」ってぇ事につながっちまうんです(チョビ髭の親爺の夢想の一つですね)
なんかねぇ、最近、思うんですけどもね。
「病気」って、昔より増えてませんか?
で、それを「理由」にしてもらえるのは、あくまで平和で豊かな社会においてだけです...私は生まれが卑しい所為か、同じ盆に上がってしまったならば「運が悪かったね」という事しか出来ません...手加減できる程の余裕は、私には無いんですよ、多分ネ。

柳
2007年6月16日21:23

>「病気」って、昔より増えてませんか?

僕の感じ方では、それと言うよりも、周りが「異常な人」に対して敏感になったんだと思います。
まぁ、今の時代「空気を読め」だとか「意味を分かれ」とか何かと難解なコミュニケーション能力が必要とされる時代です。

昔ならアスペルガ−でも「ちょっと変わった奴」だとか「少し話しか方が変な奴」で済んだんでしょうけど、今の時代は、もうそう言う気があるだけで、若い子は近づけないようにしますもんねぇ・・・・

それは、特に若い人と話した後に、年配のおっちゃんたちと話したときに感じます。
40、50代の人は、そういうアスペルガ−とかあんま気にしないですけど、20代や10代の子は、そのアスペルガ−の気が見えるだけで本当にすぐにソッポ向いちゃいますもん。嫌な世の中です。本当に

kaj
kaj
2007年6月17日0:55

そう、其処です。
なんかね、世の中全般が「理由」として、あいつは「病気だったんだ」で、済ませてしまうんですよ。
私は、ソレが凄く怖い。
>昔ならアスペルガ−でも「ちょっと変わった奴」だとか
>「少し話しか方が変な奴」で済んだんでしょうけど、
>今の時代は、もうそう言う気があるだけで、
>若い子は近づけないようにしますもんねぇ・・・・
些細な個体差を全て「病気」であり、「普通」でないなら仕方が無いで、片付けてしまう。
どんどん線が引かれて、規格外は、排除される。
(いや、自分が処理施設行きの資格を持ってるからだけではないですよ..笑)
一度、烙印を押されると、二度と「普通」に扱ってもらえない。
「悲しいけど現実なのよね」
で、済ませてしまうのは、ちょっと、どうなんでしょうね♪

柳
2007年6月17日12:00

まぁ・・・Kajさんの言われてる事はものすごく怖い事であってねぇ・・・・
今の時代「個性が素敵」だとか言われてますけど、実際昔よりも、「個性とか」とか「特徴」のある人間には厳しくなってるそうですからねぇ・・・

もう「普通」の感覚を持たないと、最初から人の輪の中にはいれない。つまりは同じ土俵にも立てない。


「悲しいけど現実なのよね」・・・・この言葉はアスペルガ−やADHDにはきつい言葉ですが、健常者にとってみれば、この上なく優越感をくすぐる言葉なのかもしれませんね。
柳

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